高校・大学で日本一を経験。
東福岡では花園優勝を含む史上初の高校3冠、明治大学では22シーズンぶりの大学日本一。
多彩なスキルでU20代表にも選ばれたプレーメーカーは、アークスでどんな軌跡を描く?
眩しい笑顔の22歳が決意を語ってくれました。
高校・大学で日本一を味わった司令塔。
アークスでも笑顔で頂点へ。
まずご出身から教えてください。
出身は福岡県北九州市の八幡西区です。自然が多くて、小さい頃にはちょうど良い場所でした。
全然ゲームもせず、外に出て友達と遊んで、という感じでしたね
2人兄妹で、2つ下に妹がいます。ケンカは全然なくて、今もめちゃめちゃ仲が良いです。
ラグビーを始めたのは小学校3年生で、父の仕事で2年間だけ千葉にいた時でした。
キャリアの出発点は千葉だった?
そうですね。小学2年生から4年生まで千葉に住んでいて、その時に成田チャオズでラグビーを始めました。
幼稚園の時にサッカーをしていたくらいで、それまで運動はしていませんでした。
休みの日に父親に連れられていって、その日に試合をやっていたので「やってみる?」という感じでした。
ルールは全然分からないですけど、ボールを持って走るのが楽しかったですね。
千葉は小学4年生までということですが、5年生からはどこでプレーを?
北九州に戻りました。
中間市にある中鶴少年ラグビークラブに入って、そこで中学3年までプレーしました。
そして全国強豪の東福岡高へ。もともと東福岡を志望していたのですか?
もともとは近くにある東筑高校に行こうかなと思っていて、そのために勉強もラグビーも頑張っていたんですが、中学校最後の大会で、福岡県スクール選抜のセレクションに呼ばれて、そこで副キャプテンをやりました。
スクールの福岡県選抜に選ばれると、東福岡の1年生と練習とか試合をします。その時にたまたま活躍できて。当時東福岡の監督だった谷崎(重幸)先生に「来ないか」と誘われて、悩みました。
東筑高校も県内強豪ですが、1999年以来花園からは遠ざかっていますね。
なかなか全国大会に行けていない高校だったのですが、そこで仲間と強くして、という気持ちも半分半分でありました。東筑には、スクール選抜でキャプテンをしていた古川聖人(東福岡-立命館大-現トヨタ)と「一緒に行こう」と話していました。
ただ、自分たちが1年生になる時、ちょうど東福岡の監督が今の藤田(雄一郎)監督に変わる時で、藤田監督はわざわざ中学校まで来てくれて、話をちゃんと頂きました。
藤田監督には、古川(聖人)と自分、2人とも声を掛けてもらって「3年後、古川がキャプテン、お前(松尾)が副キャプテンで、優勝する姿が見える」と言われました。嬉しかったし、本当に優勝できるなら行きたいと思いました。
藤田監督の熱意で東福岡に行きたいと思って、父親からは「1年生から出る自信があるならチャレンジしてみなさい」と言われ、挑戦することに決めました。
そして藤田監督の“予言”どおり、高校3年で古川主将、松尾副将で高校日本一に。まるで漫画ですね!
この話をすると、みんなにすごいと言われます。実際にちゃんと優勝しました。
藤田監督はどちらかというと、監督というよりは、良い兄貴というか。いつも選手ファーストにしてくれていたし、本当にすごく尊敬できる監督ですね。福岡に帰った時はかならず顔を出します。
高校3年生。東海大仰星を破って花園優勝。日本一!
東福岡時代はいつからレギュラーでしたか?
1年生から3年間、ケガをしない限りはずっと10番で出させてもらっていました。
高校生活で最も印象に残っていることは?
高校3年の時は、春の選抜で優勝して、7人制(夏のアシックスカップ)も自分たちの代が初めて優勝して、最後は花園でも優勝できました。
最後にしっかり優勝できたこと、藤田監督を胴上げできたことが1番印象に残っていますね。
多くの大学から誘われたと思いますが、明治大学を選んだ理由は?
まず関東の強いチームでやりたいということと、その中でも伝統校に行きたい、という気持ちがありました。
そのとき明治の監督だった丹羽(政彦)さんと藤田監督は仲が良く、東福岡に来てもらって話をしました。
当時は帝京大学がずっと勝っていた時(入学前年度に大学6連覇)だったのですが、丹羽さんから「帝京大学を倒したい」「お前たちの代は優勝できる」と言われ、東福岡に選んだように、チャレンジしたいということで明治大学を選びました。
明治大学でも1年生から活躍しましたか?
1年生の時は自分の持ち味を出そうとし過ぎて、あまりチームにフィットしませんでした。
でも自分の強みを消すということはせず、強みを持ちつつどうフィットするかということを考え、2、3年生でチャンスを頂いて試合に出ました。
レギュラーではないという経験は人生初だったと思いますが、どう対処しましたか?
何が足りないのかが分からなかったら、監督やコーチに聞きに行きました。
気づくことができていない自分が1番ダメなので、把握したらそこをしっかり練習します。
知らないことが1番いけないことだと思います。
大学3年では現監督の田中澄憲さんがヘッドコーチに就任しました。
丹羽さんは寮に住んで私生活など根本的なところを変えていこうとして、たくさん面倒を見てくれました。
そこにキヨノリさん(田中監督)が入ってきて、丹羽さんが積み上げてきたことにキヨノリさんの持っているモノが上乗せされて強くなった感じだと思います。
同期にはアークスでも一緒のプロップ・齊藤剣選手がいますが、どんな選手ですか?
ケンちゃん(齊藤)は頑張り屋です。明治のフォワードは「重戦車」と言われていて、大事なポジションです。
特にスクラムは明治の醍醐味なので、ケンちゃんは毎日ミーティングをしたり、色々なコミュニケーションを取って頑張っていましたね。
ご自身は明治でどんなキャラでしたか?
ふざける時はふざけますけど、ツッコミもするみたいな。オールラウンダーみたいな感じかも知れません。
自分で自分のことを言うのは難しいですね(笑)。
ご自身はリーダータイプですか、フォロワータイプですか?
リーダータイプだと思います。
高校で副キャプテンだったこともありますし、明治ではリーダーズグループというのがあって、リーダーの下に何人かいて一緒に行動するのですが、僕もケンちゃん(齊藤)もリーダーの一人でした。
4年生の時は「リーダーがどうあるべきか」ということを考えながらプレーをして、私生活も送っていましたね。
大学時代のベストゲームは?
自分の中では、大学2年生の明慶戦(関東大学対抗戦A/明治31-29慶應)です。
前半は22対0で慶應が勝っていて、みんな下がって「勝てない」という感じでしたが、ハーフタイムで「バックスが仕掛けよう」という話をして、(ロスタイムが10分を超えた)最後にフォワードが頑張ってくれてトライを獲って、ゴールキックを決めて勝ちました。あの試合は本当に忘れられない試合ですね。
あと自分の中では、やっぱり大学選手権優勝です。
丹羽前監督から入学前に「優勝できる」と言われ、高校に続いて、また予言が的中したわけですね。
丹羽さんにも「お前たちの代だったら絶対優勝できる」と言われて、本当に最後に優勝できました。
本当に高校、大学と良い指導者に恵まれました。
大学選手権決勝、vs帝京大学戦。22年ぶりの優勝。日本一!
優勝を決めたあとのグリーティング。満面の笑み!
人に恵まれているという感覚がある?
めちゃめちゃあります。ラグビーをしている人は本当に良い人しかいないと感じますね。
その中でも自分は特に恵まれているなと勝手に思っています。
休みの日はどう過ごしていますか?
いろいろしますが、動く時は朝から出掛けて、買い物に行ったりします。
カフェに行ったりしてゆっくりする感じが多いです。
1番お金を使うモノ・コトは?
洋服が好きなので、服は買いに行ったりします。
大学の時は新宿・渋谷に15分で出ることができたので、その辺りによく行っていました。
ご自身の弱点を挙げるとすると?
すぐ笑ってしまうところですね。ツボが浅い。しょうもないことですぐ笑っちゃいます(笑)。
こういう顔なので、会社でも「ニコニコして笑顔が素敵だね」と言ってもらえます。
アークスには東福岡の先輩もいますが、「福岡は最高」という声をよく聞きます。
ちょうど良いですね。都会すぎず、田舎すぎず。なによりご飯がめちゃめちゃ美味しいです。
福岡に帰ったら、ラーメンなら東福岡のOBの方がやられている『一双』。あとは焼き鳥だったり。
もつ鍋は、家で食べるもつ鍋が美味しいですね。というか、お母さんの作る料理は全部美味しいです。
最後に、まずは社会人としての今年度の目標を教えてください。
新しい職場に入って温かく迎え入れてもらって、本当に良いところに来たなと思います。
シャイな方ではないのでたくさんコミュニケーションをとって、何か貢献できるよう頑張りたいです。
もちろんラグビーを頑張って活躍することもそうですが、会社の中でも貢献できるように、という気持ちはあります。
選手としての目標はいかがでしょうか?
1年目でルーキーと言われますが、自分の中ではルーキーと思わず、ガツガツ積極的にチームの中に入っていって、中心になれたらと思います。
(小倉)順平さんだったり、良いお手本の方がいるので、良いところは盗んで自分にプラスしたいです。
1年目から試合に出場して活躍できるように頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いします。
松尾将太郎(まつお・しょうたろう)
松尾選手の秘蔵写真はコチラ!