Newface Interview

ニューフェイスインタビュー

トロケ マイケル トロケ マイケル トロケ マイケル

父は日本でプレーしたラグビー選手。小学1年生からの7年間を千葉や岩手で過ごし、日本語はもちろんペラペラ。
日本大学から釜石シーウェイブスを経て、いよいよトップリーグ参戦となった元トンガ7人制代表のパワーランナーに、
これまでの道のりを伺いました。

浦安市の日の出小学校出身。
念願のトップリーグ参戦に燃える期待の新戦力。

新浦安は「ホントに進化したなあという感じです」。

お生まれから教えてください。

ニュージーランドのオークランドです。
両親は二人ともトンガ生まれのトンガ人で、その二人がニュージーランドで出会って僕が生まれた、という流れです。

お父さんは日本でプレーしたソロモナ・バートロケ選手。クボタや釜石に在籍していたため、マイケル選手も幼少期は日本で過ごしたそうですね。

日本に来たのは1996年か1997年で、父さんはクボタに5年、釜石に2年いました。
僕は小学校1年生から日本に来て、すぐそこの(浦安市の)日の出小学校に通っていました。

トロケ選手

オークランドから浦安というのはカルチャーショックですね。

当然日本語が分からないので、クラスでは何も分からない状態で1年半くらいいました。
でも自然に吸収して、気がついたら日本語が話せるようなっていましたね。

日本へ来て驚いたことは?

食生活は当然食べられないものばかりでした。給食とか。
日本はネバネバ系だとか、いろいろあるじゃないですか。茶碗蒸しも苦手でしたね。

日の出小学校出身ということは、アークス浦安パークのあたりは地元という感覚?

いや、(新浦安の)イトーヨーカドーからこちら側は、昔は何もなかったので。
明海大学に近いホテルも当時はなかったですし。
ここはずっと空き地だったので、ホントに進化したなあという感じです。

NZとトンガを行き来した学生時代。

ラグビーを始めたのはいつですか?

15歳でした。それまではサッカーをしていましたね。
ポジションは最初ゴールキーパーで、センターバックからのサイドバックです。

中学2年生くらいの時に(釜石から)ニュージーランドに帰って、その時はサッカーをやっていたんですけど、僕みたいなトンガ人がサッカーをしていることがありえない(笑)。
サッカーはラグビーのシーズンと被るので、ラグビーを選びました。

去年11月、日本選抜セブンズでアメリカへ行った時に撮った写真。

去年11月、日本選抜セブンズでアメリカへ行った時に撮った写真。
久しぶりにおばあちゃんと会えて、さらに初めて4人の従兄弟と会えた日。
ラグビーを通してアメリカに住む家族に会えて、更にプレーも見てもらえてやっていて良かったと改めて思った日。

それから再度来日するまでずっとニュージーランドにいた?

いや、両親がトンガに帰って車屋さんのビジネスを始めたんですが、その間、僕はニュージーランドの中学に1年間通っていました。
そのあと僕もトンガに行って、本格的に15歳からラグビーを始めました。最初のポジションはフルバックでしたね。

高校はトンガ高校です。
トンガ高校は3つあって、「トンガ高校」「トンガ高校アテレ」「トンガ高校トゥポウ」があります。
ナキ選手はアテレ出身だったと思います。

ニュージーランドのキングスカレッジに移ったのはいつですか?

高校1年はトンガにいましたが、そのあとニュージーランドに来ないかと声をかけられて、ひとり家族を離れてキングスカレッジという高校に変えました。
その後、(スーパーラグビーの)クルセイダーズのアカデミーに選ばれて一年間南島に行きました。
それが2009年のことです。

ただ2011年トンガ代表ワールドカップスコッドで出たいなという気持ちがあったので、その後トンガに帰ったのですが上手くいかず、そこで行き止まり。行き先がない状態になりました。

そこでお父さんから「日本に行ってみないか」と言われて。
お母さんからは大学を出て欲しいと言われたこともあって、日本大学に2年遅れの20歳で入学しました。

日本大学時代の思い出は?

大学で(現在の)奥さんに会ったことですかね。
奥さんは友達の友達で、アプローチは奥さんからでした。
僕はけっこうシャイな方なので。こう言うと「本当?」とよく言われますけど(笑)。

日本大学ラグビー部はいかがでしたか?

練習はハードでしたけど、今となっては貴重な経験だったなと思います。
大学でできた友達はずっと仲が良くて、これまで釜石にいたので会えなかったんですけど、このあいだ久しぶりに会って。すごく楽しい時間を過ごしました。

練習から必死だった釜石時代。
辿り着いたトップリーグの舞台。

大学卒業はトップリーグ下部の釜石シーウェイブスへ。となると、現在の奥様とは遠距離恋愛だったわけですか。

遠距離でしたね。LINEで連絡を取って。2か月に1回会っていました。

ただ僕は釜石では、当然必死でした。
(大卒)1年目からインパクトを残したいというか、まずはスタメンをとらないという気持ちでした。
僕は外国人枠だったので、スーパーラグビーに出ていたような選手たちを越えるために練習から必死でした。

釜石ということは、父ソロモナさんと同じジャージを着たわけですね。

父さんが背負ったジャージを着ることができたというのも、嬉しかったと言えば嬉しかったですね。
でもお父さんが活躍していたので(自分も)活躍しないと、というプレッシャーもありました。

去年の夏合宿(東京)の際に初めてNTTコムと練習ができた日。社会人になった日大後輩の庵奥翔太選手と久しぶりに会い記念に撮りました。(この時はまさかまた一緒のチームでプレーするとは思っていませんでした。)

去年の夏合宿(東京)の際に初めてNTTコムと練習ができた日。
社会人になった日大後輩の庵奥翔太選手と久しぶりに会い記念に撮りました。
(この時はまさかまた一緒のチームでプレーするとは思っていませんでした。)

ファンの皆さんに見て欲しいプレーを教えてください。

突破をしてフォワードを楽にさせる――たとえばスクラムからボールが出たときにしっかり僕が前に出ないと、フォワードは下がらないといけないので、フォワードを楽にさせるために頑張りたいです。

最後に皆さまへメッセージをお願いします。

今年からスターティングメンバーになるつもりで日々練習を頑張っています。
トップチャレンジからトップリーグというのはすごく高いハードルだとは思いますけど、やっとここまで来れた、という想いもあります。

シャイニングアークスの一員になれたことを誇りに思うというか、嬉しいです。
そこで終わらず、しっかりとチームメイトに恥をかかせないプレーをしたいですし、チームメイトに「マイケルがこれをやってくれた」と言われるような、頼れる選手になりたいと思っています。よろしくお願いします。

今年の意気込みを漢字1文字で表すと…

今年の漢字1文字

トロケ マイケル

生年月日
1990/5/15
身長/体重
183cm/101kg(インタビュー時)
出身地
ニュージーランド・オークランド
出身校
キングスカレッジ高(NZ)-日本大
略歴
釜石シーウェイブスRFCから移籍。
7人制トンガ代表歴を持つ。
その他
ニックネーム:マイコー
嫌いな食べ物:納豆

マイケル選手の秘蔵写真はコチラ