Newface Interview

ニューフェイスインタビュー

喜連 航平 喜連 航平 喜連 航平

世代随一の司令塔は、笑顔の絶えない明るい性格。
しかしラグビーへの想いは一途で、幼少期から大阪桐蔭、近畿大学時代にはラグビー愛に溢れたエピソードが満載。
次世代の司令塔が、時に険しかった道程を笑顔で振り返ってくれました。

ラグビーひと筋の半生はエピソード満載!
期待の新人司令塔・喜連航平

“黄金世代”の伊丹ラグビースクール(兵庫)で
培った基礎。

生まれはどちらでしょうか?

生まれも育ちも伊丹市(兵庫)です。阪神大震災(1995年1月17日発生)の時にお腹にいた子で、その年の6月に生まれています。
兄妹はひとつ下の弟と、今年大学1年生になる妹がいます。
弟は僕と同じ大阪桐蔭の出身で、いま天理大学の4年生です。

ラグビーを始めたのはいつですか?

幼稚園です。(出身スクールである)伊丹ラグビースクールを作った方の奥さんが園長先生をしている『白ゆり幼稚園』に通っていて、そこでラグビーを始めました。

もともと体操をしたかったのですが、足が速かったみたいで、幼稚園にラグビーを教えにきている伊丹ラグビースクールの先生から引き抜かれました。

白ゆり幼稚園には姉妹校(いずみ幼稚園)との試合が毎年1回あって、その人生初の試合でたまたま優勝して、という感じで好きになりました。同じチームに梶村(祐介・現サントリー)もいました。

ラグビーボールを夢中で追いかけていたとってもかわいい小学1年生の頃。

ラグビーボールを夢中で追いかけていたとってもかわいい小学1年生の頃。

同じ幼稚園に喜連選手と梶村選手がいたんですか?

いま考えたらすごいですよね。幼稚園のときに戦った相手チームには、今年神戸製鋼に入った前田(剛)と、トヨタ自動車に入った岡田(優輝)がいました。
(その3人とは)伊丹ラグビースクールで一緒でした。

スクールの同学年にのちのトップリーガーが4人!
当時の伊丹ラグビースクールは強かったのでは?

中学校まで伊丹ラグビースクールでずっとスタンドをやっていたのですが、大阪府のスクール選抜にも勝ったりしていました。

僕らの代は珍しくて、コーチに言われる前に自分たちで練習していたんです。小学校の夏休みは学校の友達と遊んだことがなかったです。親が使うための連絡網を使って、ラグビースクールの友達と連絡を取り合って、公園でタッチフットをしたり。
スクールのコーチの方々も「自分たちで考えて」というタイプで、ときどき怒られつつも自分たち考えて、自由にやっていました。スタンダードはラグビースクール時代に作られている感じです。

キャプテンとして大阪桐蔭初の花園ベスト4。その舞台裏。

天王寺川中(兵庫)から大阪桐蔭(大阪)へ進みましたが、その理由は?

大阪は花園で活躍しているチームが多くて、キラキラしている感じがありました。
それで「大阪に行きたいな」と思っていて、一生懸命誘って頂いたことや、当時強かった小坂中学校(大阪)の子たちが入ることも知っていたので、行こうと決めました。

キャプテンを務めた高校3年時には、チーム史上初の花園ベスト4という戦績を残しました。

高校3年のとき、春の選抜で初優勝したんです。
それで冬は大阪桐蔭として初めて準々決勝に進出して、準決勝で桐蔭学園(神奈川)に負けるんですけど、僕は花園での1試合目(國學院栃木戦/2回戦)に前十字靱帯と半月板を切っちゃって。

高校3年生花園準決勝で桐蔭学園に負け3位となった時。(実は左前十字靭帯断裂していました・・・)

高校3年生花園準決勝で桐蔭学園に負け3位となった時。
(実は左前十字靭帯断裂していました・・・)(写真向かって一番右が喜連選手)

そのことはメンバーでは僕しか知らなくて、みんなが「帰ってくるまで頑張ろう」という空気になって、頑張ってくれました。

その次の試合(3回戦)は佐賀工業だったんですけど、僕はその試合からリザーブの25番を付けさせてもらいました。
僕が入らなかったら1人入れるわけですが、みんなが『いい、いい』と。申し訳なくて情けない、という感じで、自分のできることを探しながら参加しました。

準決勝では桐蔭学園に0-43で敗戦しました。

1年通して自分中心にやってきていたので、その中心がいなくなって崩れちゃっていて。でも無理やり頑張ろうとしているところがスコアに出ていました。
準備だけはしていたので、(前十字靱帯を完全断裂していたが)後半20分くらいから試合に出させてもらいました。

その試合に出ないともう同期とやることがないので、なんとか流れを変えるだけでもやろうと。そこからちょっと勢いついてみんな頑張ってくれました(笑)。

高校3年生の春、対東海大仰星戦。自ら走り攻撃の起点となる。

高校3年生の春、対東海大仰星戦。自ら走り攻撃の起点となる。

『強いチームに勝つためのマネジメントを考えるためには、すごく良い4年間になるんじゃないか』

高校卒業後、関西の近畿大学を選んだ理由は?関東の強豪大学からも誘いがあったと思います。

僕は人を活かすプレーをするポジション(スタンドオフ)なんですが、大阪桐蔭では仲間が強いので良い状況になることがすごく多くて、じゃあ自分の力はどうなんや、という時に、あまり自信が持てない部分がありました。

お世話になっていた人から、「強くないチームが強いチームに勝つためのマネジメントを考えるためには、すごく良い4年間になるんじゃないか」と言われました。あと母親が病気だったので出来るだけそばにいたい、ということもあって、近大に決めました。

近大で一番思い出深い試合は?

大学2年の同志社戦(関西大学Aリーグ)です。
僕は前十字の件で1年間リハビリをしていて、2年目の菅平での練習試合がデビュー戦で、次の試合が同志社との公式戦でした。

相手を振り切り果敢に攻める大学4年生の関西学院大戦。

相手を振り切り果敢に攻める大学4年生の関西学院大戦。

当時の同志社は関西1位のチームで、僕らは最下位とかだったんですけど、その試合で勝ったんです。
僕は1年生の時からチームの考え方などを知りたくて、監督の“お付き”というか、トランシーバーを使って監督の指示を伝えたりするサポート役をしていました。スタッフの意見も聞けたので勉強になり、メンバー交代で『自分はこうした方がいいと思います』とか意見も言いつつ(笑)。

そういう時間が無駄じゃなかったと証明できたというか。自分がどうメイクしたら良くなるのか、ということもすごく出せた試合で、近大に来た意味があったなとすごく感じた試合でした。

最後になりました。ご自身のアピールポイントと、ファンの方へメッセージをお願いします。

攻撃的な部分を見てほしいと思います。
あとは関西人で、そんなに堅苦しい感じでもないので、どんどん仲良くしていきたいです。
浦安市の地も初めてなのでいろいろ教えてほしいです。

ファンの方も増えてほしいですし、そのために僕も一生懸命頑張るので、そこは自分次第かなと思います。
応援して頂きたいです。

今年の意気込みを漢字1文字で表すと…

今年の漢字1文字

喜連航平(きれ・こうへい)

生年月日
1995/6/25
身長/体重
175cm/85kg(インタビュー時)
出身地
兵庫県
出身校
伊丹RS-大阪桐蔭-近畿大
略歴
2010年に全国中学生ラグビー大会で全国準優勝。
大阪桐蔭では主将を務め同校初の花園ベスト4進出。
近畿大学でも4年時に主将としてチームを牽引。
その他
好きな食べ物:刺身
嫌いな食べ物:かぼちゃ

喜連選手の秘蔵写真はコチラ