Last Message

ラストメッセージ

2020年度 退団選手インタビュー

LO ロス アイザック

2011年から実に9シーズンにわたり活躍したロス アイザック選手。
歴史に名を刻むレジェンドが、2020年度をもってアークスのジャージーを脱ぎます。

1984年10月27日生まれ。ニュージーランド(NZ)カンタベリー州出身。ラグビーNZ代表の両親のもと、カンタベリー州代表や21歳以下NZ代表などに選出され、ラグビー王国のエリートとして成長。

2009年6月のフランス戦でNZ代表“オールブラックス”にデビューを果たし、代表8キャップを重ねました。
南半球最高峰リーグ「スーパーラグビー」の名門クルセイダーズなどでもプレーしたのち、2011年に来日。NTTコミュニケーションズ シャイニングアークスに加入しました。
以後9シーズンにわたり、多芸多才の長身ロックとして活躍。

ラグビー王国のエッセンスをアークスにもたらし、2017年には日本国籍を取得。新入団の外国人選手のサポート役としても貢献しました。
そんなロス選手は、退団にあたりアークスの仲間、家族、未来についてどんな想いを抱いているのでしょうか。

インタビューの最後、ラストメッセージを語るロス選手の目には涙が滲んでいました。
元オールブラックス、日本人、4児の父など、さまざまな顔を持つアークスのレジェンドに、数々の思い出を語って頂きました。(取材日:6月23日)

アークスでの日々。
「ひとつの言葉で表現するなら『感謝』です」

現在の心境について教えてください。

いろんな感情が混じっています。
シャイニングアークスには長く在籍し、プレーを続けてきたからです。
ただ今回はチームが今後の契約について早く伝えてくれていたので、私と家族もこれからの計画を早く立てることができました。

退団は誰にでも訪れること。これから訪れる未来にワクワクしています。

引退にあたり、チーム公式SNSを通じて、ファンの皆さまへ日本語のメッセージを公表されていましたね。

10年間の積み重ねをひとつのページで表現することは難しいことでした(※チーム公式SNSで公表された日本語メッセージ)。

ただ一つの言葉で表すならば「感謝」です。

日本でプレーするチャンスを与えてくれたこと、プレーするだけでなく日本で家族を育んでくれたこと、異なる文化で溶け込むチャンスを与えてくれたこと。それらに対する感謝がとても強いです。

シャイニングアークスは「家族の一部」

チームに感謝しているというメッセージもありましたね。

シャイニングアークスは、私の浮き沈みの激しいキャリアを支えてくれました。

2011年に移籍してきて、3年目には深刻なケガをしました。普通のチームだったら契約が終わっているような大怪我でしたが、そこをサポートしてくれてプレーを続けることができました。

また、私には4人の子供がいて、全員が日本の学校に通っています(12、10、7、4歳)。彼らのうち2人は日本で生まれました。日本語も流暢ですし、友達は全員日本人です。

チームはそんな子供たちの面倒を見るための時間も与えてくれました。またチームのみんなが私の家族を、チームの一員として面倒を見てくれました。
ですから私たち夫婦だけで家族を養っているよりは、チームのみんなと家族を育ててきたという印象です。
チームにはとても感謝しています。

他の選手が子供の面倒を見てくれたこともあった?

そうですね。ニュージーランドにはコミュニティ全体で子供を育てる精神がありますが、シャイニングアークスにもその精神がありました。

たとえば私たちが子供の面倒を見られない時、仲間が子供を預かってくれたこともあります。
またクラブハウスに子供を連れてきた時は一緒に遊んでくれました。
そういう意味でも、シャイニングアークスは私の家族の一部だと思っています。

日本で生まれた2人のお子さんは日本人という意識なのでしょうか?

日本で生まれた2人の子供は、日本が母国だと言い張っています。

オフシーズンにニュージーランドに帰っても「いつ日本に帰れるの?」と聞いてきます。私と妻は「ニュージーランドも母国だよ」と伝えるのですが、彼らの中では違うようです。

私も日本に帰化していますし、日本が母国である気持ちは同じです。
現在は子供たちの帰化のプロセスも進めています。

日本での生活が新たな命を吹き込んでくれた

日本へ来る前は引退を考えていたそうですね。なぜでしょうか。

私はキャリアに浮き沈みがありました。ニュージーランドで最高峰のチームであるオールブラックス(国代表)に選ばれた2009年は、キャリアのハイライトでもありました。

 

ただ当時のオールブラックスは20代後半から30代が中心で、私は当時24歳でした。チームから求められる要求が高く、重圧もあり、今までのようにラグビーを楽しめなくなっていました。

メディアからのプレッシャーもあり、苦しい時期でした。代表チームから繰り返し受けるフィードバックは「十分に実力がない」というもので、私は上手くないのだというマインドになりました。
そんな中で2011年にシャイニングアークスにやってきました。

日本では試合結果に関係なく敬意を示してくれ、いつでも応援してくれるファンの皆さんに出会うことができました。プレッシャーもなく、伸び伸びとプレーできました。
毎回試合で励ましてくれるファン、家族のサポートが、私のキャリアに新たな命を吹き込んでくれたのです。

入団当時から変わらない「アークスらしさ」

2011年に入団したシャイニングアークスはその後、右肩上がりで成長してきました。

成功の鍵は来日2年目だったと思います。2部リーグから昇格したばかりの頃はトップリーグで弱く、ボトム4(下位4チーム)に入らないようにもがいていました。

それがいまはトップ4争いができるチームになっています。全体としてプロ意識が高まってきたことが要因ではないかと思います。

プロ意識を作る上ではロブ・ペニー(アークス前指揮官)の存在は大きかったと思います。彼の価値観、ラグビーの考え方、レガシーはこれからも受け継がれていくと思います。

2011年から変わらない「アークスらしさ」はありますか?

ファンのチームへの愛情は昔から変わりません。どんな状況であれ、ファンはチームに愛情を注いでくれました。

また選手同士がお互いにサポートする気持ちも変わりません。そうした気持ちがずっとあることは良いことだと思います。

アークスでの振る舞い方を
教えてくれたダレン・マーフィー

これまで多くの選手とプレーしたと思いますが、実力的に印象深かった選手は?

これまでシャイニングアークスには偉大なプレイヤーがたくさんおり、一人の名前を挙げることはフェアではないと感じます。
このチームの良いところは、スーパースターを大量に確保して戦うチームではないことです。
いつも2、3人の日本代表経験者がいて、チームとしてまとまり、自分達よりも強いチームに立ち向かっていくチームです。

オフフィールドの個性が印象的だった選手は?

シャイニングアークスには面白い人がたくさんいて、フィールド内外で笑いがあります。

ユニークということではなく、私に強い印象を残している選手を挙げるならばダレン・マーフィー(2005年入団/オーストラリア出身/フランカー・NO8)。
2部リーグ時代からプレーしていた選手で、シャイニングアークスでの自分の振る舞い方、態度に影響を与えてくれました。
新しく入ってきた外国人選手を助けるという知識、行動は彼から学ぶことができました。

ここ数年、自分がチームにおいてそのような役割をするにあたり、彼から学んだことを活かすことができました。

これまで多くの外国人選手をサポートしてきたんですね。

「異国の地にやってくる外国人選手には不安があります。彼らを温かく受け入れ、安心感を与えることに努めてきました。オフフィールドでのプレッシャーが和らぐと、フィールド内のパフォーマンスも上がります。

ただ、新しい生活に慣れていく手助けはしていましたが、それが出来ていたかどうかは私が語るのではなく、彼らに聞いてほしいです。

また、私達も多くのサポートを受けていました。一方的に助けていたのではなく、お互い様です。

衝撃的だったチームデビュー戦。
パナソニックに劇的勝利――印象的な試合の数々

9シーズン在籍したアークスでのベストゲームを教えてください。

まずワーストゲームでもいいですか?(笑)。

ワーストゲームであれば、シャイニングアークスでの初戦です。
相手はヤマハ発動機でしたが、私達には良いフォワードがいました。ノブジ(斉藤展士)、マヤハラ(馬屋原誠)、キソ(木曽一)、コバヤシ(小林訓也)・・・。
すごく強いフォワードパックがあるので、勝てると思っていたのですが、ヤマハのホームで50得点も獲られて負けたんです。驚愕して、もっと練習しなければと思いました(笑)。

その他の印象的な試合はありますか?

その頃はトップリーグのボトム8(下位8チーム)でしたが、ヤマハ発動機に勝って、初めてトップ8に入った試合も印象に残っています。ロブ(前指揮官)1年目の2014年でした。

そこからが、チームのサクセスストーリーの始まりだったと思います。今でこそトップ8に入るチームとみられていますが、そこに到達するまでのチームの努力があったからこそだと思います。

あとは、一昨年のパナソニック戦ですね。

劇的な勝利で総合5位を決めた2018年度の試合ですね。

その年でロブはチームを去ることが決まっていて、ロブに勝たせてあげたいと思っていました。(※試合結果リンク)

あの勝利は、私にとって初めてパナソニックを破った試合でもありました。試合に勝って5位という結果を達成し、涙を見せている選手、スタッフもたくさんいました。

思い出の津別合宿。鮮烈だった広島の記憶

オフフィールドでの「ベストメモリー」は何ですか?

1人のチームメイトとの思い出を挙げるのは難しいですが、チーム全体の思い出として心温まるのは津別合宿(北海道)ですね。

きつい合宿なのですが、その中でも楽しみの多い合宿でした。チーム同士で交わり、お互いを知る機会がたくさんありました。心温まる良い思い出です。

試合で日本全国を回ってきたと思いますが、好きな日本の場所は?

日本のすべての場所が好きですね。ただ良い経験になったのは、神戸製鋼と試合をした広島での経験でした。

戦争の記録を残している博物館へ行き、原爆ドームも訪れました。戦争でなにが起きたかを学び、理解する機会がありました。その時はとても感情的になりましたし、心に残る場所になりました。

旅は終わりではない。コーチも視野

今後はどのように展望していますか?

私たちの家族の直近の計画は、日本という国をもっと楽しむことです。
これまで素晴らしい経験をさせてもらいましたし、今ある自由な時間を活かしたいと思います。都会から1時間でも車を走らせれば、自然の豊かな場所に行くこともできますから。

もうひとつの計画は、いまコロナウイルスの影響でいろいろなことが不確かですが、これまでお世話になった人達に感謝を伝えに行きたいと思っています。

キャリアについては、プレイヤー兼コーチとして貢献できるチャンスがあればこれから努力していきたいと思います。

かつてはコーチになるという気持ちはありませんでしたが、いろんな選手、知識を伝えるなかで、これまで培った知識を伝えていけたらとも思っています。

大学時代は教員志望だったとお聞きしていますが、教えるという意味ではコーチと共通する部分もありますか?

子供の頃から年下の子供と時間を共にすることが多く、教えたことが成長に繋がることに喜びを感じるタイプでした。

コーチと教師は通じる部分があるので、コーチは熱意をもって、自然に楽しめるポジションだと思います。

ロスアイザック選手から皆さまへ

最後になりました。これまでロス選手をサポートしてくれたファンなど、皆さまへメッセージをお願いします。

「私にとって「なぜラグビーをするのか」はとても重要です。それがなければキャリアの中で自分を見失ってしまうからです。
日本、シャイニングアークス、そしてファンの方が私にその理由を与えてくれました。

 

マオリ語(ロス選手のルーツであるNZ先住民マオリの言葉)で「世界の中で一番重要なものは何か。それは人、人、人」(※1)ということわざがあります。
※1(マオリ語)「He aha te mea nui o te ao. He tāngata, he tāngata, he tāngata」
(英語)「What is the most important thing in the world? It is people, it is people, it is people.」

私がラグビーをする理由は「人々のため」です。その人々は自分であり、チームメイトであり、コーチであり、会社の人々であり、日本にいる人々です。
そういった人々から10年間サポートを頂いたことは、言葉に表しきれない感謝しています。

日本という国が、私と家族にこうした人生経験を与えてくれた感謝の気持ちは計り知れません。
一生の宝物を日本が与えてくれました。
これから日本に恩返しができればと心の底から思っています。

Arcs Legend
「ロス アイザック選手」
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