CloseUp Interview

クローズアップインタビュー

運命に立ち向かい、掴んだ「幸せ」の感覚。

アシスタントリクルーター 諸葛彬

アシスタントリクルーターの諸葛彬(ジェガル・ビン)さん。現役時代はウイング・センターとして活躍した韓国・ソウル出身の29歳です。

ソウルのサデブ高校、名門の延世(ヨンセ)大学、韓国軍チームの尚武(サンム)を経て、2014年のアークスに加入。

初年度から主力選手として活躍しましたが、2016年10月に脳梗塞に。
日本と韓国での厳しいリハビリを経て、2018年春から日本で活動。現在はアシスタントリクルーターとしてチームを支えています。

現在も左半身の一部に麻痺が残ります。しかし病との格闘の末、現在の自分を「幸せ」と語ります。
ここまでの道のりと、これからの夢を尋ねました。(取材日:2019年11月14日)

韓国人選手は「本当にポテンシャルがあります」。
リクルーターとして奮闘中。

アシスタントリクルーターとしてどんな仕事をされていますか?

韓国や韓国人選手の情報収集をしています。また韓国の知り合いやチームに連絡をとって、興味があれば連絡して下さい、といったアプローチをしています。

チームから「この選手に興味がある」と言われた時に、すぐ答えられるようにしています。本社で働くこともありますし、クラブハウスにもいます。

韓国人選手にはどんな可能性がありますか?

本当にポテンシャルがあります。
韓国人選手は、スキルやフィジカルがある選手が多いのに韓国ではアピールする機会が少ないです。日本に来たら成長できるのに残念だな、と思う選手はたくさんいます。

今年のワールドカップでは韓国出身の日本代表プロップ、具智元選手が活躍しました。

同じ韓国人がラグビーの大舞台で活躍するなんて、こんなことがあり得るんだと思いました。本当に素晴らしいです。

ワールドカップは観戦しましたか?

準々決勝の南アフリカ戦を観に行きました。
同期がナキ(アマナキ・レレイ・マフィ)なので、彼を観るために行きました。感動しました。

諸葛彬

2016年9月30日 パナソニックワイルドナイツ戦にて
左からアマナキ・レレイ・マフィ選手、諸葛彬さん、ラグビーW杯2019にてアマナキ選手と共に戦った福岡堅樹選手

浦安は「ここから離れたくないなと思うくらい」。

現在は新浦安にお住まいだそうですね。

他の所には住みたくないくらいです(笑)。
「ここからは離れたくないな」と思うくらい良いです。

休日は散歩をしたり、新浦安の駅に行ったりしてコーヒーを飲んでいます。バスには乗らず、20分くらい歩いて駅まで行っています。カツ丼が好きなので、新浦安駅の地下のとんかつ屋さんでよく食べています。

日本の韓国料理はどうですか?

お母さんが一緒に住んでサポートしてくれているのですが、韓国料理はお母さんが作ってくれます。
「何が食べたい?」と言われて答えるとそれを作ってくれるので、家以外で韓国料理を食べることはないです。

韓国ソウル出身。
名門延世大学から韓国軍チーム・尚武へ。

あらためてラグビーとの出会いを教えてください。

中学3年生の時、人が足りないというので初めてラグビーをしました。
ラグビーのことをまったく知らず、プロップとしてスクラムを2、3回組んだだけです(笑)

サデブ高校ではラグビー部に所属しました。

最初は試合をする時、泣いたりしていました。タックルも怖いし、当たるのも怖い(笑)。
とても弱いチームで、僕の時は部員数が17人です。(競技人数は1チーム15人なので)交代はないです(笑)

ただ大学では36人ぐらいいました。韓国で1番強いチームでした。

諸葛彬

大学時代(右上が諸葛彬さん)

初めて日本に来たのはいつですか?

延世大学の1年生です。日本の社会人チームと試合をしに行きました。その時見た日本のラグビーが印象的で忘れられず「日本でラグビーをやりたいな」と思いました。

大学卒業後は韓国軍の尚武(スポーツ部隊)へ。任務はどんなものでしたか?

尚武は体育部隊で、スポーツ選手しかいないです。他の部隊は軍人訓練もしますが、僕たちはラグビーをします。
僕らの部隊はすごく楽しいです(笑)。
他の部隊からすると「軍人じゃない」と言うと思います。

尚武に2年間在籍し、2014年に念願だった日本へ旅立ちます。

まず日本語を勉強しました。有名な選手でもコミュニケーションがうまく取れず失敗して戻ってくることが多かったと聞いたので、行く前に日本語の本で勉強しました。

2014年にスタートしたアークスでの選手生活はどうでしたか?

簡単な日本語は出来ていたと思います。「もう一回言ってください」とか。
ただ何も知らないので、同じマンションにいたナキがそのとき本当にたくさん助けてくれました。

家具を一緒に見に行ってくれたり、道が分からない時は一緒について来てくれたり。
本当にいろいろサポートしてくれました。今も住んでいる場所が近いので、一緒にご飯を食べたりします。

諸葛彬

現役時代、アマナキ選手と

脳梗塞の発症。リハビリの日々。

脳梗塞を発症した状況を教えて下さい。

2016年10月9日です。鳥取での試合中にいきなり頭が痛くなって倒れて、救急車で運ばれて手術をしました。

麻酔してから起きたのは2週間後でした。頭を開けて、脳の腫れがおさまるのを待って、落ち着いてからまた頭の骨を入れました。

2016年10月9日

2016年10月9日 コカ・ウエスト鳥取での試合にて

予兆はあったのですか?

忘れ物をしたり、道にも迷ってしまったりしていました。2015年に首の怪我をしてたまに痺れていたので、そのせいだと思っていました。
倒れた試合のウォーミングアップ時は、いつもより体が重く感じていました。

鳥取の病院ではどのように過ごしていましたか?

リハビリをしていました。最初は昨日動かなかった腕が動いたり、毎日回復が見えたので「たぶん来年には動けるだろう」とお母さんと笑いながら話をしていました。

手術後

その後にだんだん今の状況が分かってきて、落ち込んで、2週間ぐらいリハビリもしていませんでした。
これは本当にダメだ、元に戻らないならリハビリをやる理由はないと思って。

3か月後に千葉・船橋の病院に転院します。

歩く練習や片足で立つリハビリをして、食事をしてまたリハビリという生活でした。
僕の場合は数学の計算などの能力が落ちていたので、1 + 1とか、2 + 2の計算をしたりしていました。

仲間は変わらず。
お見舞いは笑いに溢れ「楽しかった」

同期入団の選手たちがお見舞いに来てくれたと思います。

※金正奎キャプテン、須藤拓輝、鶴谷知憲、羽野一志、アマナキ・レレイ・マフィ

同期のみんながマットレスを買ってきてくれました。
石神さん(現リクルートマネージャー)など先輩もお見舞いに来てくれました。

お見舞いはどんな雰囲気でしたか?

仲間で冗談を言い合います(笑)。
気まずい感じではなくて、「頑張って」って言われて「頑張るよ」と言って。

笑って「バイバイまたね」という感じ。来てくれていつも楽しかったです。

日本だけでなく、韓国でもリハビリをしました。

2017年3月に初めて大きな発作が起きて身体が痙攣して意識を失いました。

そのときたまたまお母さんが一緒にいましたが、お母さんは「私がいない時に発作が起きたら救急車を呼べない」と言って、リハビリは韓国でしようとソウルへ戻りました。

韓国ではどんなリハビリ生活でしたか?

できる治療は全部やりましょうと言って、友達の紹介でリハビリをしたり、針にも通っていました。
本当にできることは全部やりました。

おそらく選手復帰も難しい状況で、なぜリハビリを頑張れたのですか?

リハビリ期間中ずっとチームのロッカールームには僕の着ていたいた13番のジャージが飾ってあり、試合に出るみんながそのジャージに触れグラウンドに出ていると聞いていました。みんなも頑張って戦っていると思うと、自分も頑張ろうと思いました。

あとうちは私とお母さん、弟の3人家族です。お父さんは中学2年の時に離婚しているので、長男である自分が父親代わりです。私が諦めたり、倒れたりしたらこの家族も一緒に倒れると思っていました。絶対にあきらめないと思えたのは家族のためです。

お母さんと弟は、僕だけを見ていました。
選手の時は、僕がメンバーに入らなくて落ち込んでいると、2人も落ち込んでしまう。
だから僕ができることは、頑張って良い姿だけを見せること。そのために無理もして頑張りました。

リハビリの様子

チームスタッフとして日本へ。

スタッフとしての夢はありますか?

僕がいる間に韓国のチームと合同練習とか、良い関係で成長できるようにしたいです。
学んでいる最中ですが、その中でも意見を言ったり、チームのために何もかもできたらいいなと思っています。

あとはラグビーと別に、いま準備をしているのは、自分が幸せになったことを皆に発表することです。機会があれば日本の人達にも伝えたいです。

幸せになったことを多くの人に伝えたい、ということでしょうか。

そうです。日本にいると残念なことも多いです。我慢できなくて自分の命を捨てる人もいます。

私もそれを選びたい時もありました。諦めたい時もありましたけど、我慢して仲間と一緒にいたら、絶対に笑えて幸せな日が来るよ、ということを伝えていきたいと思っています。

同じ韓国出身の張選手と走る諸葛彬さん

笑いが盛りだくさんだった部内発表。
仲間に伝えたかったメッセージ。

部内で選手へ向けて、「幸せな障がい者」というタイトルでメッセージを発表をしたそうですね。

3週間くらいパワーポイントの資料作りなど準備して発表しました。
私は重い気持ちで真面目に言うことが苦手なので、どうすればみんなを笑わせられるかと思って、いろいろ冗談も入れました(笑)

「幸せな障がい者」という発表タイトルに込めた思いは?

「幸せな障がい者」というタイトルをつけた理由は、自分が持っている感情をただ書いただけなんです。
「なんで幸せな障がい者なんだろう」と今でも考えています。なぜ私は幸せなのか。

いまスタッフとして活動していると、後ろで泣いている選手も見ることができます。自分も辛かった時期があるので、そういう人に近づいて「頑張れ」と力を入れるようにしています。

こうした部分で、病気をする前よりも人間的に大きくなっていることが理由かもしれません。
手術をして、いま生きていることも幸せです。

あらためて、仲間達へ伝えたいメッセージがあればお願いします。

私は「自分達がどれだけかっこいいかを知っているか」とみんなに聞きたいです。

選手の時はただ試合に出て、ファンの皆さんに「サインしてください」と言われて喜ぶだけだと思いますが、ファンの立場から見ていると、どれだけ選手たちがカッコいい存在か分かっているのかな、と思います。

それを自分たちの心にしっかり入れて、プライド持って、自信を持って、責任を持ってやってほしいです。

そのことをこの前の発表でも伝えたんですけど、たぶん笑いの方が多かったから印象に残ってないと思います(笑)。
ただ、それはみんなに伝えたいですね。

諸葛彬