ロングインタビュー!千両役者の魅力と原点。
山田章仁
大舞台が好き。強心臓のフィニッシャー、山田章仁選手が登場!
福岡・北九州の小倉高校から慶應義塾大学、ホンダヒート、パナソニックを経て、2019年のシャイニングアークスに新加入!
トップリーグのベスト15は5度選出。トライ王には2度輝いた日本最高峰のトライゲッターで、2015年W杯サモア戦での“回転トライ”でも有名!
大舞台で強さを発揮する千両役者の素顔とは?
日本代表25キャップの“大型新人”が、赤裸々に語ってくれました。(取材日:7月9日)
合流したアークスの雰囲気はいかがでしょうか?
日頃から声を掛けてもらっていて、非常に馴染みやすいです。昔から仲の良い選手もいたので、やりやすいですね。
昔から知っていた選手は?
正奎(金キャプテン)も知っていましたし、順平(小倉)も一緒に日本代表でやりました。
もちろん魁(石井)もです。
スクラムハーフの鶴田(諒)は、一緒にセブンズ(7人制日本代表)でやっていました。
もちろん今まで対戦してきたので、みんなのことも知っていました。
石橋拓也選手は同郷ですね。
忘れてました(笑)。
彼は鞘ヶ谷ラグビースクール、小倉高校、慶應大学の後輩です。日本代表キャップを持っていますし、優秀な彼に頼る部分は多いので助かっています。
カップ初戦でアークスデビューを飾りましたが、プレーの感触はいかがですか?
感触は非常に良いです。
チームは、みんながみんなの色を潰さないというか――周りを尊重してどうやって活かすか、というチームカルチャーがあると思います。僕自身もみんなの良い部分を活かせるように頑張りたいです。
初先発したカップ第2節では、出身地・ミクニワールドスタジアム北九州でハットトリックを達成。同スタジアムでのトライ第1号も山田選手でした!“持っている”のは何故なのでしょう?
基本的に大きな舞台は好きですね。
それなりに緊張する時はありますけど、それで身体が硬くなるというような事はないです。
地元の試合やお客さんが多い試合では、みんなに楽しんでもらえればいいな、という気持ちが自然とこみ上がってくるので、それが上手く繋がっているのかなと思います。
アークスの本拠地・浦安はいかがですか?
道が広かったりスペースが多いので子供に優しいですね。
子育てしやすいので、ファミリーでも住みやすいかなと思います。もちろん都内にもアクセスしやすいです。
ハワイにもご自宅を構えていますが、その理由は?
1番近いアメリカ、というところからです。
ローラ(夫人)の出身は、アメリカ本土の真ん中アイオワ州です。双子が生まれたので、向こうのご両親のサポートもして頂ければ、というところでした。
お父様はアメリカの方で、アメリカ生活が長いので、さすがに日本に移住してもらうのも遠すぎます。
僕自身も何かあった時にと思い、(中間の)ハワイになりました。
ハワイの住み心地はいかがでしょう?
僕自身そこまでハワイアンという感じでもないんですが、やっぱりいいですね。
時間の流れをそのままダイレクトに感じるので、ゆったりできます。
オススメスポットは?
いっぱいありますよ!
アウラニ(Aulani)というところにディズニー・リゾートがあるんですけど、朝ご飯を食べに行くとキャラクターに会えます。浦安もディズニーが近いので、どちらにもディズニーがあるという感覚ですね。
双子のお子さんはおいくつですか?
2歳ですね。男と女です。性格が全然違うので、非常に面白いです。
アークスにも双子(鶴谷知憲、昌隆)がいますね!
いますね(笑)。
彼らの親目線というわけではないですが、双子の父親として、ご両親は大変だっただろうなあと思います(笑)。
ラグビーを始めたのはいつですか?
5歳です。最初はセンターだったりスタンドオフをしていました。
小倉高校に入った時は15番(フルバック)で、3年生の時は10番(スタンドオフ)でした。
ご兄弟は?
歳の離れた姉が2人います。男なので激しいスポーツを、という事でラグビーに連れて行ってもらいました。
運動神経はご両親ゆずりですか?お父様はラグビー経験者?
やっていません。父親は大学までずっと卓球していましたね。
両親が本気で走ってるところは見たことないですけど、姉2人も足は速かったです。
小倉高校時代で、今でもよく憶えている試合は?
合宿の練習試合だったと思いますが、試合の途中で動かなかった時があります。上手くいかなくて。
ディフェンスで抜かれても追いかけないみたいな(笑)。めちゃくちゃ怒られました!
スマートな印象の山田選手ですが、ヒミツの特訓をしたことは?
家の周りの坂道を走っていました。
もちろん勉強も結構やっていました。朝4時に起きて勉強をしたり。
朝4時!?
小倉高校はけっこうしっかり勉強をする学校でした。
僕の勉強の仕方は――夜のうちに全部教科書を開いておいて、机にセットするんですね。
それで目覚ましが鳴ったらすぐにやる。
それまでは、起きても準備するところで諦めていた(笑)。それで夜のうちに準備をしておこうと思ったんですね。
きっとヤル気が出る環境を整えるのが上手なんですね。
自分がいかに頑張れるか、という環境を作っていましたね。
ハワイに行ったこともオン、オフの切り替えを作って、ラグビーに飽きない環境にする、もちろん家族もしっかりサポートできる、ということでした。
そういう環境作りは、いま思えば小さい頃からやれていたかもしれません。
慶應大学時代を振り返ってください。
いかに上手くなるか、ということをずっと考えていましたね。大学1年生が終わって、オーストラリアに行かせてもらったりしました。
当時は夏合宿に行くよりも、海外に行く方が上手くなってチームのためになると思っていました。卒業する時にはチームを優勝に導きたいという思いがあったので。
慶大の伝統である山中湖合宿は、以前は「地獄」と呼ばれるほど厳しかったそうですが、参加したことは?
僕は1回もやったことないです。
1年生の時は怪我で、2、3年生の時は海外にいていなかったです。
4年生の時は、大会を控えていて万全ではなかったので・・・(笑)。怪我を治すことに集中しました!
海外行きは、当時の監督に直談判したのでしょうか?
真剣に直談判しました。
両親からは、自分が正しいと思った事は正しいと言える人間になりなさいと教えを頂いていたので。
だから、自分が正しいと思うことを言える性格になったのかなと思いますね。
昔から自分の意見を言える子供だった?
みんなと違うことをやるのは恥ずかしくなかったですね。高校の進学も自分の意思で決めさせてもらいました。
小学校の時も、ラグビーチームを変えさせてもらっているんですよ。
ワイワイやっていたチームから、強豪の鞘ヶ谷ラグビースクールに行きました。
日本代表として2015年W杯のジャパン躍進に貢献しました。当時HC(ヘッドコーチ)だったエディー・ジョーンズさんは、言われている通りの厳しい方ですか?
そうです。本などに書いてあるより、もっと厳しいですよ(笑)。
エディーさんとの思い出といえば?
それはやっぱり、代表に選ばれる前の、青山(東京)でのミーティングです。
呼ばれたので「いよいよ来たな」と思って行ったら、「お前は選べないし、髪の毛が長い」とダメ出しされて。俺は何をしに行ったんだろうみたいな(笑)。
その時は以前の所属チームで優勝したり、MVPを頂いたりしていたので、いよいよ声かけがあるなと思っていたのでビックリしました。とりあえず、髪の毛は切りました(笑)。
それからは結構苦しい期間が1年続くんです。
日本人の良さがなかなか反映されにくいプロスポーツの世界で、そこを180度変えるといった事は苦手でしたし、その部分を克服しつつ、同時にスキル、体型を監督の理想に近づけました。
最後の最後まで直談判をしていましたね。南アフリカ戦の前日までメンバー外だったので。
当初、南アフリカ戦(34-32で勝利)はメンバー外だったのですか?
僕はいわゆるBチームの位置付けで行って、最後の最後に出してもらえました。
ただ彼は理論派なので、理論も論破しないといけないし、同時に情熱を見せないといけない。
そこは非常に頑張りました。
どうして最後の最後に覆ったのでしょう。
やっぱり積み重ねじゃないですかね。
自分の意見をしっかり言えるようになったのは最後の最後で、そこがスタートラインでしたね。
ほんとに1日1日が勝負でした。
ワールドカップ日本大会が9月に開幕します。日本代表に対してはどんな心構えでいますか?
すぐにでも行けるように準備したいというか、出た試合では、しっかりアピールしなければいけませんし、コンディションもしっかり整えなければいけません。
(代表活動期間は)まだまだあるし、大会も続きます。トップ8、トップ4を狙っていくのであれば試合数も伸びてきて、強度も高くなっていくので、まだまだこれからかなと思います。
カップ戦を見ていると、動きにキレがある気がします。
徐々に良くなっています。2月から代表でスタートさせてもらいましたし、その前にはしっかりオフも頂きました。
実践を積むなかで、9月20日(W杯開幕日)、それ以降で、皆さんにしっかり良いプレーを見せられるような準備は着々とできています。
今後ですが、どんな未来を想像していますか?
昔からグローバルに世界で活躍する選手、人間になりたいと思っていました。引退する時は来るんですけど、その後もしっかりグローバルに活躍できるような人間でいたいな、と思いますね。
グローバルに活躍したいと思うようになったキッカケは?
小学校4、5年生から英語をやらせてもらっていました。歳の離れた姉が「これからは英語が大事になってくる」ということも教えてくれて。
英語のスピーチコンテストで優勝したこともありました。ソルトレイクシティーについて話したと思います。
小学校の時にはオーストラリアのゴールドコーストに1週間くらいホームステイさせてもらって。
あとは19歳の時に9か月間、シドニーにホームステイに行かせて頂いたことが、自分の中では大きかったと思います。
ちびっ子には、早い段階で「世界は広いんだよ」ということを伝えることができれば良いと思います。
いまの子供たちへメッセージを送るとしたら?
早く海外に出てほしいですね。日本だけではなくて、世界にはいろんな人がいるってことを知ってもらいたいです。
今はインターネットも普及しているので、画面上で見てもらうのでもいいですし。グローバルな環境にどんどん身を置いてもらって。
居心地の悪い場所に行くことが1番良いと思います。
ちなみに、お子さんにラグビーをやってほしいと思っていますか?
あまりないですね。ただ、スポーツの素晴らしさは伝えたいです。
そういった面では、彼らがスポーツの良さわかるくらいまでは、スポーツに関わる仕事に就きたいなという思いはあります。
コーチも視野に入っていますか?
入ってなくないです。(頭の右上を示して)この辺りにはありますね。
ただ、あまり決めずにいることが、プレッシャーになっていいかなと思います。
それでは最後にアークスのファン、浦安市民の方々へメッセージをお願いします。
会社の理念にもあると思いますが、グローバルに展開しているかというところでは、僕自身もラグビー選手として、NTTコミュニケーションズの所属選手として、看板を背負ってグローバルに世界で活躍していきたいと思っています。
ぜひラグビーを観に来てもらいたいです。
ご家庭のある方は週末にイベントのひとつにしてもらってもいいですし、お付き合いされている方と観てもらって、盛り上がってもいいと思います。1人で見に来て、ストレス発散をして頂いてもいいと思います。
会場に足を運んでもらって、シャイニングアークスの選手たちが頑張る姿を見てもらい、月曜から笑顔で頑張ってほしいなと思っています。
今日はありがとうございました!
ありがとうございました!